Archive for 1月, 2012
テレビマンユニオン史とウルトラクイズ(2)
前回:テレビマンユニオン史とウルトラクイズの続きです。
先日入手した「テレビマンユニオン史」。
その本にアメリカ横断ウルトラクイズを手掛けた
白井博さんのエッセイがありました。
一部抜粋させていただきながら要点を挙げていきます。
「アメリカ横断ウルトラクイズ」について 白井 博
・夢と冒険!アメリカ大横断
「夢と冒険!アメリカ大横断」の体験が無ければ「ウルトラクイズ」第一回目からの成功はなかった。
アメリカの広大さを地図の上でしか認識していなかった、
一日三百マイルで撮影より移動することが仕事になってしまった。
(実際にアメリカを移動した経験がウルトラクイズで生きたんでしょうね。)
当時の技術システムでは電源を入れてから録画できる状態になるまで数分かかる(これでも当時としては早いとのこと)。その挙句、収録可能な時間は20分しかなかったとの事。
VTRが立ち上がる数分を待ってくれるドキュメンタリーの状況はない。
・アメリカ横断ウルトラクイズ
企画原案、クイズをしながら旅行し、負けたらその場から敗者を返すというアイデアは構成作家グループ、ジャパンクリエイトの発案。
前述の「夢と冒険-」の経験を踏まえてテレビマンユニオンが制作を担当することになった。
第1回は木曜スペシャル90分一本で放送するつもりだったが、日本テレビの佐藤孝吉氏が前後編で放送しようと発案。
(佐藤孝吉さんの著書「僕がテレビ屋サトーです」にもその場面があります。)
・ウルトラクイズ成功の要因
ウルトラクイズ成功の第一の要因は、旅行代理店近畿日本ツーリストにロケの運行を任せたことにある。(中略)旅行代理店のノウハウが無ければ不可能な番組であった。
技術的な部分にも触れたあと、移動可能な早押し機の発明などスタジオのクイズシステムをそのままロケで可能にしたこと、そしてウルトラクイズの成功のもっとも大きな要因は技術、美術をはじめとする集まったスタッフの一級の才能とチームワークによる。
(あれだけの番組ですから一流のスタッフとチームワークで乗り切ったのでしょうね。)
・白井さん自身
テレビマンユニオンが担当した11回のうち、第1回から第10回までを白井さんが演出。
途中からクイズの審査委員長、総合演出、プロデューサーを兼任し、全権をまかされることになる。(白井審査委員長!全権を任されていた事に驚き)
僕が演出した時代のウルトラクイズのコンセプトは「人生の機微」にふれているかどうかであった。ゲーム性やスケールばかりのアイディアにならないようにした。日常の生活の中から新しいクイズを作りたかった。
作家たちが考えてくるアイデアに気になるものがあると、白井さんが考え、熟成されクイズのアイデアになるそうで、
そうして生まれたのがどろんこクイズ、空席待ちクイズ、双子神経衰弱などである。
なんと、白井さんがドロンコクイズのアイデアに関わっていた!
放送ライブラリーの「ウルルン滞在記」公開トークショーの記事で、
ドロンコクイズに「白井さんがあまり関わってない」と書いてしまったのですが、
思いっきり関わってたんですね。(汗)
これは豆知識だなと思ったのが、
第5回から第一問を後楽園球場の外に出題。(中略)
この回からファーストカットは国内敗者担当ディレクター保坂秀司の撮ったカットに決めていた。
ウルトラクイズの冒頭。早朝の後楽園球場で挑戦者が寝ている所をウルトラクイズのスタッフがインタビューするシーンがあるのですが、あの場面は保坂さんが撮っていたのですね。
また一つ、ウルトラクイズの豆知識が追加されました。
(ちなみに保坂さんはウルルン滞在記のスタッフでもあり、
前述のウルルン滞在記公開トークショーに出演されていました。)
最終決勝地をNYからパリに変更する、ルートを2つに分ける、○と×の飛行機二台を成田から出発させるといったアイデアを自由にさせてくれたのはウルトラクイズの生みの親ともいうべき日本テレビの石川一彦氏であった。
(石川さんは木曜スペシャルのプロデューサー(と記憶しています。)「僕がテレビ屋サトーです」にも「おマメさん」として登場します。)
・井上雅子さんの存在
昭和六十三年一月十五日、一緒にプロデューサーをしていた井上雅子が他界した。彼女の英語力と人柄にどれ程助けられたことか。
・ウルトラの為に尽くした十年間
三一才から四〇才までの十年間、僕は一年中ウルトラクイズの事しか考えていなかったと言っても過言ではない。十年間僕の心・技・体はウルトラの為にあった。
ウルトラクイズは白井さんが情熱を注いで作られた番組だった。
それを知って僕は嬉しくなった。
第5回ノックスビル・敗者インタビューでの結婚式、
第7回オルバニーの松本さん、同じく第7回エンディングの福留さんのナレーション、
第10回南米ラパスの罰ゲームで「ふるさと」を歌う堀さん。
どれも人間味溢れるシーンで好きだ。
僕は、テレビマンユニオンが作るウルトラクイズが好きだ。と書いたが、
白井さんが作るウルトラクイズが好きなのかもしれない。
個人的にはテレビマンユニオンがウルトラクイズを続けていたら
2001年の911テロが起きるまでは続いていたと思う。そう信じています。
(マンネリ化やスケールの縮小傾向などの問題はあるとは思いますが。)
しかし白井さんは第10回のウルトラを最後にウルトラクイズから降りてしまった。なぜ白井さんはウルトラクイズをやめてしまったのか。
その答えが次の文章にあった。
ウルトラクイズはまだまだ続く状況にあったが、四〇代も演出を担当すると
墓名にウルトラクイズと書かれるのではないかと恐怖し第十回で降りた。
この文を読んだ時の感想を言う。
「えええええええええええ!!!!!」。
そんな理由で辞めたの!?と後ろにひっくり返った(笑)。
白井さんが辞めなければウルトラは続いていたかもしれないのに!
でも、ある意味、白井さんらしい答えかなとは思いました。
それでも僕の中で引っかかるものがありました。
それは白井さんと一緒にプロデューサーをしていた井上雅子さんの存在です。
井上さんの死が白井さんの降板に影響しているのでは・・・?
次回は「テレビマンユニオン史」を通して井上雅子さんに迫ります。
次回:テレビマンユニオン史とウルトラクイズ(3)
[追記]
この記事で「トリビア」という言葉を使ってたのですが、トリビアの泉などの「ムダ知識」という意味で
松井大輔情報(2012/01/16)
久しぶりの新情報ですが、移籍話・・・。
ディジョン松井が今冬にポーランド移籍か…仏紙が報じる(SOCCER KING)
ポーランドの事は良く分からないのですが、奥さん&子供の事を考えると
松井選手の言葉が通じるフランスのチームがいいのでは?
でも、ケガから回復したようなのに試合に出られないもどかしさもあり・・・。
[追記 2012/01/17]
と思ったらこんな記事が
松井が入団テスト=ポーランド・サッカー(スポーツナビ)
入団テストのため、チーム練習に参加するとレギア・ワルシャワの公式サイトで伝えたとの事。
チャレンジする所が松井選手らしい?
テレビマンユニオン史とウルトラクイズ
僕は、テレビマンユニオンが作るウルトラクイズが好きだ。
(と書くと、いきなり何だ?と思われるかもしれませんが・・・。)
テレビマンユニオンは、アメリカ横断ウルトラクイズや
世界ふしぎ発見!、世界ウルルン滞在記など手掛けた
日本初の独立系テレビプロダクション。
アメリカ横断ウルトラクイズには第1回から第11回までの
制作を手掛けています。(1977~1987)
そのテレビマンユニオンが2005年、創立35周年の時に発行された
『テレビマンユニオン史』を先日入手しました。
543ページにも及ぶ分厚い本で、非売品だと思います。
当時この本が某オクで出品されていたのですが、
入札していくうち高値がついてしまい落札できず。
オークションアラートに「テレビマンユニオン」を入れて
待ち続ける事、約6年・・・。
ついに念願が叶いました。
この本は、テレビマンユニオン(TVU)の誕生から現在(2005年)に至るまでの
歴史を記述したもの。
ウルトラクイズの総合演出・ディレクターの白井博さんに関する事や、
ウルトラクイズの裏話もあるのでは?と期待してページをめくった。
最初にTVU誕生の経緯や、創立メンバーのエッセイが記載されており、
この方達がTVUを誕生させたのだと感心しながら読んた。
(TVU誕生の事は触れておきたかったのですが、今回はウルトラクイズの話題がメインのため省略させていただきます。)
そして白井博さんのエッセイ「テレビマンユニオンに入るきっかけ」を読んだ。
当時、白井さんはTBSでADのアルバイトをしていたが、アルバイトが忙しく、
縁故で入れてもらえるはずだった名古屋のテレビ局の筆記試験や面接を
すっぽかしてしまったとの事。
もし白井さんがそのままテレビ局に入社していたら、白井さんの作る
ウルトラクイズを見る事はできなかったかもしれません。
さらに読み進めていくと、
TVU初の海外取材レギュラー番組「クイズジャンボ」
現在も続いている「遠くへ行きたい」、
世界ふしぎ発見プロデューサー・重延浩さんのエッセイや
ウルトラクイズのカメラマンも務めた佐藤利明さん、
ウルトラクイズやウルルン滞在記ディレクター・保坂修司さんのエッセイもありました。
(応援団の団長だった保坂さんが山本寛斎さんのファッションショーのオファーを受け、それがテレビマンユニオンに入るきっかけになったエピソードが面白いです。)
重延浩さんの書いた「夢と冒険!アメリカ大横断」は興味深く読ませていただいた。
「夢と冒険~」は日本人グループがキャンピングカーでアメリカを横断し、
1976年7月4日(アメリカ創立200周年の日)に独立の記念の都市、
フィラデルフィアに到達し、フォード大統領の祝辞を受けて、祝賀の鐘をならすという番組。
(旅人の中に当時女子大生だった三雲孝江さんがいます。)
重延さんは
翌年、日本テレビの石川一彦プロデューサーは私を呼んで言った。
「あの番組をクイズ番組にできるか」。私はうなづいた。
こうして私はウルトラクイズの第一回プロデューサーになった。
ディレクターには、アメリカを横断したディレクターの白井博さんに頼んだ。
ウルトラクイズは、この番組がきっかけとなって生まれたのかもしれません。
(その流れで白井さんがウルトラのディレクターになったんですね。)
重延さんの文は続き、
私はニューヨークを飛び立った時のマンハッタン島の空からの全景を思い出した。
ウルトラクイズの最後の都市はニューヨークである。
そのニューヨークに、挑戦者が空から現れ、自由の女神を目指すエンディングを思いつき、提案することになる。
決勝地「ニューヨーク」の演出を提案したのは重延さんだった!
ウルトラファンにとって興味深い豆知識になりそうです。
さらに読み進めていくと、今回の本題に辿り着いた。
「アメリカ横断ウルトラクイズ」について 白井 博
そこには、白井さんが第10回でウルトラクイズの制作を降りた
理由が書かれていた。
[追記]
この記事の「トリビア」という言葉を「豆知識」に変更しました。
(詳細は次回に。)
澤選手にFIFA最優秀選手
なでしこ沢に栄冠、佐々木監督も=アジア初のFIFA最優秀選手(スポーツナビ)
沢に聞く…トロフィーは先輩たちの重みが詰まっている(スポーツ報知)
佐々木監督に聞く…すべてに感謝したい(スポーツ報知)
澤選手、そして佐々木監督、本当におめでとう!!
日本人が年間最優秀選手を獲るなんて信じられない^^;
「一番じゃない」澤が「世界一」に選ばれた理由 (1/2)
FIFA年間最優秀選手受賞を引き寄せたもの(スポーツナビ)
Answer日記(2012/01/09)
年末年始のクイズ番組を全然視聴できない今日この頃です。
CSの番組をチェックするのに精いっぱい^^;
昨日のYou vs 7の御秒奈々さんは凄かったですね。
箱根駅伝の出場チームを解答していくクイズで、他の回答者が脱落する中、
ただ1人残った御秒さんが残りのチームを全て正解!
新クイズ女王誕生の瞬間を見れた気がしました。
An×Anでは成人の日キャンペーンが今日までですね。
20クレ以上プレイした時のあのタイトルの色が不気味^^;
・初詣An×An2012
初詣は成田山へ行ってきました。
今年はダイエットを兼ねて自転車で行ってみたのですが
往復50km以上の距離は辛かったですorz
成田まで後7km。
「水戸」が入っている道路標識は
初めて見ました。
(この後の長い登り坂が辛かった!)
寄り道した事もあって、成田山に到着した頃には辺りは夕暮れ。
いつもより空いていたのはラッキーでした。
お参りした後は恒例のおみくじです。
昨年は「末吉」でしたが、果たして今回は?
第六十二番 大吉です。
ふつうの人ではあまり良すぎて位負けするというほどの運勢。
人から妬まれるおそれもあるので、何事も慎み深くして
好感を持たれるように暮らすこと。
意外にも(?)大吉でした。
嬉しい出来事があると(ネット上ですが)「キター!」とか言って自慢しちゃうタイプなので、「人から妬まれる」という事はあるかもしれません。。
健康運と仕事運と金運が良い一年でありますように。
(ブログをご覧の皆様も!)
そして恒例の成田でAn×An♪
例年ですとZOOM成田店へ行っていたのですが、
今年は「セガワールド成田店」へ。
先月(2011年12月)にAn×Anが導入されたばかりのお店です。
国道沿いにあるのですが、国道からお店が見えにくく、1度通り過ぎてしまいましたorz
駐輪場近くの入り口から店の中に入り、AnAn筐体を発見!
UFOキャッチャーAn3An4 セン
モニ
(センモニの位置、あいまいです。)
筐体は2台で、200円3クレ設定。
UFOキャッチャーが隣に設置されているというのは初めて見ました。
An3、An4と書いてるのは、③と④のシールが貼られていたから。
(①と②はどこへ?)
まだ認知度が少ないのか、店舗ランキングを見てもプロアンサーはわずかでした。
そして初詣大会を12クレ程プレイ。
ここに来る前にも初詣大会をプレイしていたのですが、100Fを超えた所で終了しました。
来年の初詣の日も成田でAn×Anします。
その頃にはAn×Anも次回作になってるかな?
・平成二十四年 初詣大会
最高到達フロア:130F
獲得タイトル:一富士 二鷹 三茄子
大会対人勝利数:46勝50敗5分
大会対人勝率:47.91%
最終順位:723位
今回は連休という事もあって、廃プレイできました。
120Fを超えた所で連敗が続き、対人勝率が五割を切ってしまったのが残念ですが、1000位以内のおみくじもゲット。果たしておみくじの運勢は?