Archive for 1月 15th, 2012
テレビマンユニオン史とウルトラクイズ
僕は、テレビマンユニオンが作るウルトラクイズが好きだ。
(と書くと、いきなり何だ?と思われるかもしれませんが・・・。)
テレビマンユニオンは、アメリカ横断ウルトラクイズや
世界ふしぎ発見!、世界ウルルン滞在記など手掛けた
日本初の独立系テレビプロダクション。
アメリカ横断ウルトラクイズには第1回から第11回までの
制作を手掛けています。(1977~1987)
そのテレビマンユニオンが2005年、創立35周年の時に発行された
『テレビマンユニオン史』を先日入手しました。
543ページにも及ぶ分厚い本で、非売品だと思います。
当時この本が某オクで出品されていたのですが、
入札していくうち高値がついてしまい落札できず。
オークションアラートに「テレビマンユニオン」を入れて
待ち続ける事、約6年・・・。
ついに念願が叶いました。
この本は、テレビマンユニオン(TVU)の誕生から現在(2005年)に至るまでの
歴史を記述したもの。
ウルトラクイズの総合演出・ディレクターの白井博さんに関する事や、
ウルトラクイズの裏話もあるのでは?と期待してページをめくった。
最初にTVU誕生の経緯や、創立メンバーのエッセイが記載されており、
この方達がTVUを誕生させたのだと感心しながら読んた。
(TVU誕生の事は触れておきたかったのですが、今回はウルトラクイズの話題がメインのため省略させていただきます。)
そして白井博さんのエッセイ「テレビマンユニオンに入るきっかけ」を読んだ。
当時、白井さんはTBSでADのアルバイトをしていたが、アルバイトが忙しく、
縁故で入れてもらえるはずだった名古屋のテレビ局の筆記試験や面接を
すっぽかしてしまったとの事。
もし白井さんがそのままテレビ局に入社していたら、白井さんの作る
ウルトラクイズを見る事はできなかったかもしれません。
さらに読み進めていくと、
TVU初の海外取材レギュラー番組「クイズジャンボ」
現在も続いている「遠くへ行きたい」、
世界ふしぎ発見プロデューサー・重延浩さんのエッセイや
ウルトラクイズのカメラマンも務めた佐藤利明さん、
ウルトラクイズやウルルン滞在記ディレクター・保坂修司さんのエッセイもありました。
(応援団の団長だった保坂さんが山本寛斎さんのファッションショーのオファーを受け、それがテレビマンユニオンに入るきっかけになったエピソードが面白いです。)
重延浩さんの書いた「夢と冒険!アメリカ大横断」は興味深く読ませていただいた。
「夢と冒険~」は日本人グループがキャンピングカーでアメリカを横断し、
1976年7月4日(アメリカ創立200周年の日)に独立の記念の都市、
フィラデルフィアに到達し、フォード大統領の祝辞を受けて、祝賀の鐘をならすという番組。
(旅人の中に当時女子大生だった三雲孝江さんがいます。)
重延さんは
翌年、日本テレビの石川一彦プロデューサーは私を呼んで言った。
「あの番組をクイズ番組にできるか」。私はうなづいた。
こうして私はウルトラクイズの第一回プロデューサーになった。
ディレクターには、アメリカを横断したディレクターの白井博さんに頼んだ。
ウルトラクイズは、この番組がきっかけとなって生まれたのかもしれません。
(その流れで白井さんがウルトラのディレクターになったんですね。)
重延さんの文は続き、
私はニューヨークを飛び立った時のマンハッタン島の空からの全景を思い出した。
ウルトラクイズの最後の都市はニューヨークである。
そのニューヨークに、挑戦者が空から現れ、自由の女神を目指すエンディングを思いつき、提案することになる。
決勝地「ニューヨーク」の演出を提案したのは重延さんだった!
ウルトラファンにとって興味深い豆知識になりそうです。
さらに読み進めていくと、今回の本題に辿り着いた。
「アメリカ横断ウルトラクイズ」について 白井 博
そこには、白井さんが第10回でウルトラクイズの制作を降りた
理由が書かれていた。
[追記]
この記事の「トリビア」という言葉を「豆知識」に変更しました。
(詳細は次回に。)