Archive for 2月 27th, 2010
テレビマンユニオン・白井さんにお聞きしたいこと(その2)
更新が遅くなりすみません。
結果は期待しないでください。
前回:テレビマンユニオン・白井さんにお聞きしたいこと(その1)
放送ライブラリーで行われる「世界ウルルン滞在記」の公開トークショー。
トークショーのゲストは、ウルルンで司会を務める徳光和夫さん、
旅人として4度ウルルンに出演した俳優の山本耕史さん、
そして、ウルルン滞在記プロデューサーの白井博さんです。
抽選で200名でしたが、運良く当選のメールが届きました。
(抽選という事もあって、ここでは情報をお伝えしていませんでした。すみません。)
当選が決まり、白井さんに当時の状況を思い出してもらうようにと、
第5回ウルトラ・ノックスビルの画面をキャプチャーした資料を作成。
うちにプリンタが無いのでネットプリント経由で印刷したのですが、1度に印刷できる容量に制限があり、枚数が11枚にもなってしまった。(1枚60円)
後は白井さんに質問できるチャンスがあれば・・・。
トークショー当日。僕は幕張から電車を乗り継いで、
放送ライブラリーの最寄駅である日本大通り駅まで移動。
Googleの路線検索より。
東京湾半周です。
会場の情文ホールに到着すると、既に9割5分の座席が埋まっていました。
ちょっと焦りながら空いている席を捜すと、一番上の席が空いていた。
ギリギリで到着したとはいえ、遠い席で見る事になってしまった。
放送ライブラリーの方も驚いてましたが、今回のトークショーには1600名もの応募があったそうです。
ウルルンの人気、さらに山本耕史さん目当ての方も多かったのでしょうね。
それでも、抽選で選ばれたのは、あの頃のウルトラクイズを創った白井さんにお会いしたかったという5年越しの思いが実を結んだのかもしれません。
(放送ライブラリーと神様に感謝いたします。)
まずは山本耕史さんが出演された、過去4回のダイジェストを上映。(45分)
・ミクロネシア(1995年)
新宿生まれ新宿育ち、当時18歳の初々しい山本さんがミクロネシアの人々に出会った。
日本とは全く違う生活や文化に触れ、山本さんも戸惑っているように思えた。
現地を離れる前、酋長から「最後にこれを見て行きなさい」と、戦没者の慰霊碑を見せられたシーンが印象に残りました。
(この辺りはテレビマンユニオンらしさを感じます。)
・イギリス(1997年)
バグパイプの演奏に挑戦するため、バグパイプの先生一家にホームステイ。
長時間の演奏で口の中が痛くなりながらも、なんとか上達しようと演奏を続ける山本さん。
現地のバグパイプコンテストに出場しましたが、結果は最下位・・・。
それでも先生からはよくやったとの声が。
最後は一家との涙の別れに。
・中国(2003年)
中国の手品師に弟子入り。
初対面の場で、師匠から「中国では”乾杯”と言ったら必ず飲み干すんだ」と言われ、アルコール度の高い白酒を何杯も一気飲み。(かなりキツそう)
そのお陰で、師匠に弟子として認められた。→翌日はグロッキー状態。
その後、現地の小学生に手品を披露し、子供達の人気者に。
最後は師匠と家族達との涙の別れ。
・アメリカ(2007年)
子供の頃からギターが大好きだったという山本さん。
自分だけのアーチトップギターを作るため、アメリカでも有数のギター職人・ベネデットさんの元へ。
ベネデットさんの指導の下、山本さんが手作りでギターを作成していく。
ギターの色を赤にする事や、ギターの内部に山本さんとベネデットさん直筆のサインを書き、ギターの穴からサインが見えるようにするなど、山本さんのこだわりが垣間見えた。
(時間的な問題で、色塗り等の仕上げはベネデットさんにお願いした。)
別れの日も、2人で名残り惜しそうに朝までギターを弾いていたのが印象的でした。
45分の上映の後、ゲストの徳光さん、山本さん、白井さん、ウルルン滞在記スタッフの石原さんと保坂さんが登場。
遠くからではありましたが、ウルトラクイズを創った白井さんが目の前に。
司会から今年の巨人について話を振られる徳光さん。
(徳光さんにとっては恒例行事?)
当たり前ですが、徳光さんはいつもテレビで見ているのと変わりませんでした。(またいつかウルトラクイズ「敗者の味方」の水色スーツを着ていただきたいです。)
白井さんが番組名について、最初は「日曜日は世界に居候」というタイトルだったそうですが、スポンサー(東レ)に説明したところボツに。
”居候”というのが、阪神大震災で家を無くした方に対して良くなかったようで、
意味不明ならいいだろうという事で「ウルルン」になったそうです。
話の流れで司会者から、白井さんがアメリカ横断ウルトラクイズを作ったこと、今はテレビマンユニオンの社長である事に触れた。
(さらに「演出力の高いディレクター」とも。)
ウルトラクイズの白井さんを見るためにやってきた僕としては嬉しかった。
と同時に、ウルトラクイズのネームバリューの大きさを感じた。
しかし会場の人達が「ウルトラクイズ」と聞いて、ドロンコクイズとかトマト戦争とか、白井さんがあまり関わってない部分を想像してるのではないかとちょっと心配になった。
さらに司会者は、白井さんが映画を作るという話をおっしゃっていた。
何の映画だろう!?と興味が出ると同時に、今ウルトラクイズが復活したとしても、白井さんを製作スタッフとして起用できなくなってしまった。(日テレのバカバカバカ!)
映画の期待感と残念さが入り混じった複雑な気分になる。
(続く)
次回:テレビマンユニオン・白井さんにお聞きしたいこと(その3)