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ロンドン五輪・U-23日本代表対シリア戦(2012/02/05)
いよいよロンドンオリンピックを掛けた大一番、
U-23日本代表対U-23シリア代表の試合が始まります。
日本は清武選手が離脱するというアクシデントの中、
アウェーのシリアに勝利を果たせるかに注目です。
(地元出身の比嘉選手、いいクロスを上げて勝利を!)
ちなみにこの記事は予約記事なのですが、
外出先から帰ってきたら開始前、ハーフタイム、終了後に更新します。
関塚監督「われわれの戦いができれば必ず勝利できる」 (1/2)
ロンドン五輪アジア最終予選 U-23シリア戦前日会見
[追記]
前半終了。1-1。どうにか追いつきましたね。
山崎選手のケガで不穏な雰囲気の中、セットプレーからオウンゴールを許した日本。代わったばかりの大迫選手というのもついてなかった。
このまま前半を終了かと思ったら、永井選手がゴールに流し込み同点!!
大迫選手も目線を外したパスで相手DFを欺くナイスアシストでした。
後半は勝ち越し点を期待。
[追記2]
負けてはいけない一戦でしたが敗れてしまいました。
あのミドルシュートは「まさか」でした。
まだ2試合あるので、シリアを上回る得点を取るしかないです。
権田選手、この悔しさをバネに頑張って欲しい。
テレビマンユニオン史とウルトラクイズ(特別編)
テレビマンユニオン史とウルトラクイズの話、今回は特別編です。
前回は井上雅子さんのウルトラクイズのお話を取り上げたのですが、
井上さんに関するとても切なくなる話が「テレビマンユニオン史」にありましたので
書き起こさせていただきます。
(鶴野さんは第7回~第11回ウルトラクイズのプロデューサーの一人でもあります。)
「井上雅子夫婦が遺したメンバーシップ」(鶴野徹太郎)
●八六年冬、若手プロデューサーの井上雅子さんは休みがちでした。
重苦しい冬の夕刻、彼女のご主人から「会いたい」「でも女房には内緒に」との電話があり下北沢で会いました。
彼が切り出した話は
「彼女はもう手遅れで、余命半年から一年」「彼女は告知を知らないでいる」
「病気でユニオンのみんなに迷惑をかけるから退職して別の仕事を始める・・・と彼女は独立の準備を始め、事務所を借り準備を始めている」
「そんな事したら余計命を縮める。何とか思い留まらせてくれないか。
ユニオンの親しい人達に囲まれた中で過ごさせたい」。
「一切の責任は私が持つ」 衝撃でした。
それから重延さんに相談し、社内の数人の協力者を得て、彼女の治療と意思に差し障りの無い仕事が出来るべく「プロジェクト雅子」が動き始めました。
春頃に、彼女の笑顔がオフィスに戻り、彼女の企画書も動きました。
「世界ふしぎ発見!」にも彼女の国際電話の声が響き、新しく出来るカザルスホールの準備室にも彼女の笑顔がありました。
そして余命半年どころか、二年近くの八八年の一月十五日に去って行ったのでした。
甘えの無い関係や、爽やかな自立というメンバーシップへの遺産を残して、親しい仲間たちに囲まれながら・・・・・。
最後の入院前の夏、人気の無い時間、彼女がデスクに来ました。
「鶴野さん、あまり無理しちゃ駄目だよ・・・私ネ、実を言うと知っている。
この間、病院の待合室で、私の前にカルテを積んだワゴンがあった。
私のカルテが見えた。ドイツ語だけど、スペルをメモして辞書で調べた。
だから知っている。一度、お礼を言いたかった。皆にもヨロシクね」
(第一章のみ転載させていただきました。)
ウルトラクイズのプロデューサーとして交渉事を担当し
ウルトラクイズを影で支えた井上さん。
僕は井上さんを主人公としたドラマを見たくなったのですが、
テレビマンユニオンさん制作してくれないでしょうか・・・。
下記「亡き井上雅子さんへのオマージュ」より
井上雅子
①1949年 ②1974年 ③「蒸気が世界を動かした。」「感動の時~科学者と語る~」「マンウオッチング」「女性写真家エンジェルの世界」など主として科学ドキュメンタリーのプロデュース、演出。「アメリカ横断ウルトラクイズ」はプロデュース7回、演出1回を担当。1988年1月15日逝去(38歳)
(①誕生年 ②メンバー参加年 ③経歴)
過去記事
テレビマンユニオン史とウルトラクイズ
テレビマンユニオン史とウルトラクイズ(2)
テレビマンユニオン史とウルトラクイズ(3)
Answer日記(2012/02/04)
Answer×Answer.NETのスマートフォン対応について(An×An公式)
前回触れてなかった話題。ようやくセガさんが重い腰を上げましたね。
スマホに変えて泣く泣く.NETを脱退された方も、対応後はキャラ&解答台のカスタマイズができます!(はず。)
スマホ対応でこの先もAn×Anが続いてくれるようなので安心。
(AnAnスレには、サービス終了の噂の書き込みがたまにあったので。)
AnAnの続編が登場→基盤がRINGEGGE
→システム一新するついでにスマホ対応。
という流れを予想(希望)しているのですが果たして?^^;
ちなみに僕は去年携帯を買い替えたばかりなので
あと1年はスマホにしません。今の携帯で十分満足だったり。
サーバートラブルのおしらせ(1/25 13:20復旧)
これまた古い話題なのですが、気になった所があるので転載。
<サーバートラブル時のセーブデータについて(1/25 15:00追記)>
サーバートラブル発生時にプレイ中だった場合、
ゲーム終了時にセーブされるデータおよびセーブされないデータは以下の通りとなります。
◎セーブされるプレイデータ
・獲得賞金・クイズパワー
・リーグ変動成績
・トレーニング成績
・2人店内対戦成績
・プレイ成績
◎セーブされないプレイデータ
・獲得アイテム
・獲得タイトル、及びタイトルに関するデータ
・VIPカード
・ジャンルポイント
・スタンプを含む制覇都道府県データ
・各クイズ形式の成績
・An×An.NETの対戦履歴
※ネットワークを通じてサーバーに送られるデータに関してはセーブはされません。
獲得アイテムの情報はサーバ側で持ってるんですね。
カードの保存容量を気にしなくていいから、いくらでもアイテムを登場できると。
「俺An4」のコーナーで書こうと思ったんですけど、
An×An.NETに未加入の方にもボード壁紙をプレゼントして欲しいですね。
AnAn1時代に確か「七福神」のボード壁紙を大会の参加者全員にプレゼントしていた覚えがあるんですけど、.NET未加入の人も1度だけ設定できたはず。(うろ覚え)
AnAnで下位リーグに下がってしまった時、対戦相手全員がノーマル解答台だとテンションが下がるんですよね。
そこで何らかの大会に参加した方全員にボード壁紙をプレゼントし、獲得時に1度だけ設定可能にする。(取り外し不可。「七福神」の時と同じ。)
.NET未加入の人も壁紙目当てで大会に参加するだろうし、
対戦相手が全員ノーマル解答台になる確率も減って、マッチングした時の見た目も良くなる。一石二鳥と思います。
で、ボード壁紙をもらったプレイヤーが壁紙に飽きて
「やっぱ他の壁紙がいいなあ」と思って
AnAn.NETに加入してくれる率も高くなると思うんですが、いかがでしょう?
松井大輔情報(2012/02/04)
昨日2/3のスポーツナビに松井選手の記事が。
ここまでの松井選手の事がまとめられています。良記事。
松井大輔、ディジョンで陥った予想外の苦境 (1/3)
困難を乗り越え、もう一花咲かせることはできるか
レギアは予算不足で松井選手の獲得を断念。
若手の急成長、さらに新たな選手を獲得し、置かれた状況は厳しいようですが
すべては本人の気持ちと実力次第
とあるように松井選手次第。
カルトロン監督
「もしわれわれのもとに残ると決まったら、もちろん彼の頑張り次第でチャンスはある。松井はほかの皆と同様に、彼のチャンスを擁している」
後半戦で巻き返しましょう!
[追記]
ディジョン 1-2 ヴァランシエンヌ(Goal.com)
チームの練習にも出てなかっただろうし、松井選手の名前が無いのは仕方ないけど、
カルトロン監督のいう「チャンスはある」というのが本当なのか。心配だったり。
テレビマンユニオン史とウルトラクイズ(3)
前回:テレビマンユニオン史とウルトラクイズ(2)の続きです。
「テレビマンユニオン史」に白井博さんが第十回のウルトラクイズを最後に
番組から降りた理由が書かれていた。
四〇代も演出を担当すると墓名にウルトラクイズと書かれるのではないか
とありましたが、僕の中ではどうも引っかかるものがある。
それは白井さんと一緒にウルトラクイズのプロデューサーをしていた
井上雅子さんの存在です。
白井さんのエッセイにもありましたが、
井上さんは昭和63年(1988年)1月15日に他界。
既に亡くなられているため、「テレビマンユニオン史」には
「女たちのテレビマンユニオン 亡き井上雅子さんへのオマージュ」として
坂本良江さんの書いたエッセイがありました。
それによると、井上雅子さんはテレビマンユニオンの二期生。
採用試験の時、
時折上げる顔にキラキラとした瞳が輝いていて、私たちは彼女の答案を一行も読んだわけでなく面接のインタビューひとつしたわけでもないのに、この人は私たちの仲間になる人だと直感していた。
と筆記試験の段階から一際輝いていたようです。
ここからウルトラクイズの話が登場しますが、
井上さんの功績が大きかった事が伺えます。
ともすれば「オレがオレが」になりがちなテレビマンユニオンにあって彼女の明るく穏やかな、それでいて不可能を可能にしてしまう才能にどれほど私たちは助けられていただろうか。
数々の仕事の中でも歴史に残る番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」で果たした井上さんの功績は大きい。
アメリカ側でコーディネーターをしてくれたマージー・スマイロウが日本でウルトラクイズの受賞パーティーに参加したことがある。檀上に上がるプロデューサー、ディレクターたちの顔ぶれを見たマージーは「マサコ イズ ザ プロデューサー」とつぶやいた。アメリカですべての交渉ごとを仕切っていた井上さんの働きを最も良く見ていた人だ。当の井上さんは会場の一般客に交じって微笑んでいた。
ウルトラクイズではアメリカの各地でクイズを行いますが、中には「ホワイトハウスの前でクイズを行う」(第3回)など、「はい、いいですよ」と簡単に許可を得る訳には行かないシチュエーションもあったと思います。ウルトラクイズを行う上で交渉事はつきもののはず。
僕が大好きな場面の一つに、第5回ウルトラクイズ・ノックスビルの敗者インタビューがあります。
敗者となった佐藤初江さんのインテビュー中に行われた結婚式も、井上さんが現地で交渉することによって可能になったのではないか?(ひょっとしたら、結婚式のアイデアも井上さんが!?)そんな事を思いました。
井上さんにとって最後のウルトラクイズロケの時に私は別件でニューヨークに滞在していた。マージーから電話が入った。「マサコが帰ってこない」 たいていのことには動じないマージーの声が緊迫している。井上さんは納期が遅れている番組の景品「潜水艦」の工場へ直談判に飛んでいた。
トラックに潜水艦を積んでニューヨークへ向かう途中、数十年ぶりという大型ハリケーンに遭遇、車が運転不能となり大幅に到着が遅れたのだ。悪天候の中、深夜のハイウェイをトラックドライバーと二人だけの旅、どれほど緊張した時間だったことか。
第9回アメリカ横断ウルトラクイズの優勝賞品「小型潜水艦」。
「お母さんヤッタ号!」あの潜水艦にこんなエピソードがあったんですね。
(ただ、その時の賞品地はサイパンなので、ニューヨークからサイパンに輸送したのかというちょっとした謎はありますけど。)
女性と外国人ドライバーの二人だけの旅は心労が大きいはず・・・。
井上さんはたくさんのトゲを我が身に引き受け、わずか三八歳の若さで癌で逝った。
ウルトラクイズの担当を外れて子供を産みたいと言っていた望みは叶えられなかった。
井上さんには番組の企画や未来のプロジェクトのアイディアがたくさんあった。
その全てが志なかばで終わってしまった。
第9回アメリカ横断ウルトラクイズから約2年半後。
井上さんは38歳の若さで亡くなってしまいます。
第10回の頃にはもうウルトラの旅は無理だったのかもしれない。
ウルトラクイズで交渉事を担当していた井上さん。
井上さんの人柄に加え、「不可能を可能にしてしまう才能」。
(素晴らしい交渉術を持っていたのだと思います。)
もはや「出来るスタッフ」という言葉以上の存在だったのかもしれません。
白井さんにとって、井上さんが抜けてしまったのは大きかったと思います。
第10回ウルトラクイズは井上さん抜きで制作されたようですが、
それを最後に白井さんはウルトラを降板。
やはり井上さんが抜けてしまった影響が大きいのでは?と僕は推察します。
真実は白井さんにお聞きしないと分からないでしょうけど、
例え白井さんにお聞きできる機会があったとしても、本音を話していただけないとは思いますが・・・。
テレビマンユニオン史に、その後の井上雅子さんの事が書かれています。
これが胸を打たれる話で、皆さんにも読んでもらいたいので
後日改めて書きます。
(「テレビマンユニオン史」に関する話はまだまだ続きます。)
前回:テレビマンユニオン史とウルトラクイズ(2)
次回:テレビマンユニオン史とウルトラクイズ(特別編) ←追加しました
おまけ
第2回アメリカ横断ウルトラクイズで優勝した北川さんのHP、
北川宣浩記念クイズ館に第2回ウルトラクイズのフォトギャラリーがあって、
その中に北川さんと一緒に写っている井上さんの写真があります。リンク
(井上さんには「才色兼備」という言葉が似合いますね・・・。)